スキンヘッドにしたとき

「ハゲスキン」にして、気合いを入れよう

初めて髪を落とし、ポジティブ・ヘッドにしたときは剃り上げるのではなくまだ1mm弱の髪を残していました。
スキンヘッドにはしませんでした。
なぜか。
「行き過ぎ」に見えたからです。
人は、坊主もスキンヘッドも変わらないじゃない、と言うでしょうが、
少し前にも書いたとおり、たった1mm弱の差であろうとも両者には気分として大きな隔たりがあります。

余談ですが、英語で“Skinheads”には「極右の青年たち」の意味があります。
イギリスで、ネオナチを信奉する人々が剃り上げた頭に野戦服やブーツを合わせていたことが由来です。
日本には、このファッションだけが輸入されてきました。
だから「スキンヘッド」「スキンヘッズ」は思想なき単語となったのです。
ちなみに単に頭を剃り上げているのを“shaven head”、ハゲは“bold head”と言います。
その区別があいまいで、剃り上げた頭をすべからく「スキンヘッド」と呼ぶのは日本ならではと言うべきでしょう。

閑話休題
しかしながら、スキンヘッドにしていた時期も、僕にはあります。
2010年の秋、ちょっと大きめのサイクリングイベントを横浜で開催しました。
その年で3回目を迎える大会でしたが、今までの2回に参加してくれていた有名俳優が都合で来られず、
彼と一緒に走りたい人たちもつられて不参加になるんじゃないか、と心配していたのです。
失敗できない――そんなプレッシャーがのしかかり、ある晩、電気シェーバーを頭に当てました。

スキンヘッド――本来の思想が髪の毛のように抜け落ちた言葉を使うのは
本意ではないものの――は、気合いを入れるための儀式。

感想。
剃り上げるのは意外に楽だ(笑) これも前に書きましたね。
毎朝、髭を剃るのと同じ感覚で頭にシェーバーを当てればよいのです。
僕が使っているのはSEIKO製の溝式シェーバー。
頭の場合、実はこの方がよく剃れる。

手に持つ部分がシェイプされていて馴染みます

禿げてる部分にも毛根が残ってますから、そこも忘れずに剃りましょう。これでヒゲも剃っちゃいます。

僕の頭の凹凸には、溝式がフィット

溝式のヘッド。頭の凹凸にうまく合ってくれるような気がします。SEIKOはもうシェーバーは作ってないのですが、この方式はBROWNが有名ですね。

気合いを入れて頑張った甲斐あったのか、イベントは参加人数も減ることなく無事に終了しました。

で、僕のスキンヘッド(『ハゲスキン』という言葉もあるようです)はしばらく継続しました。
手入れが楽だったから。

ま、先日書いたような理由でもとの坊主に戻しましたがね。
以来2年近く、ずっとこの髪を続けています。

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2012年8月30日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:頭髪ヒストリー

ポジティブ・ヘッドまでの長い道~8

職場での反応はどうだったのか

さてさて、頭を丸める、髪を落とすまでのクロニクルをダラダラと書いてきました。
やっと現在と同じ髪型にたどり着いたところです。

頭を丸めた場所は自宅のお風呂場でしたので、まだ家族の目にしか触れてない。
溜息をついた妻は、まあそんな反応を予測していたのでいいとして、
2人の息子はどうか。
こちらは、自然に受け入れてくれました。
野球少年ということは前に書きましたが、自分たちと同じ髪になったことを認めてくれたようです。
「おお、坊主じゃん」
けっこうシンプルです。

家庭内での頭さらしは済んだ。
あとは、職場だ。

翌日は月曜日。
いつものベースボールキャップをかぶり、出勤しました。
同僚にとっては見慣れた姿ですが、かぶりっぱなしというわけにはいかないので、
頃合いを見はからって、脱ぐ。
1mmにも満たない頭髪と、毛根のない広い頭蓋が、会社の一角に披露されました。
刈りたてで、まだ青々としています。

「おお」
と、男性の声が聞こえた。
「え?」
と、女性の声も聞こえた。

近寄ってきて、まじまじと見る人はあまりいませんでした。
何が前山に起こったのか。
こうやって頭を丸めるという行為は、人にとって重大なことというのはみんな認識しているようです。
漂う緊張感。

「どうしちゃったの?」
同僚男性がついに話しかけてきました。
「いやぁ、心境の変化で」
僕は努めて明るく答えました。

それがきっかけとなったのか、周囲からは「なぜ?」「いつ?」「自分でやったの?」という質問が集まり始めたのです。

英語でこういうのを、
Break the ice.
といいます。
誰かが氷を砕かなければならない。
深刻な空気を割らなければならない。
本人がしかつめらしい顔をしていたらダメなんです。
笑いながらポジティブにさらけ出さねば。

他の部署に行っても、最初は同じような反応でした。
だから頭を撫でながら、
「スースーしちゃってさ~」と触れ回る。
ま、触れ回らなくてもよかったんですが、ちょっとハイになっていたんでしょう。

その日、CM制作の打合せがありました。
来社した制作会社のプロデューサーM氏は、スキンヘッド。
僕より年下ですが、すでにかなり髪が失われていたようです。
僕の頭に目をとめると、
「頭の形がいいですね」と褒めてくれました。
目のつけどころがやはり先輩だ。
「前山さん、もしシェーバーで剃るなら、丸い刃のやつより溝になってる方がいいですよ」
なんてアドバイスもしてくれました。
剃ってスキンヘッドにすることまでは考えていませんでしたが、
「それもいいかもね〜」なんて答えた次第。
お調子者ですね。

そんなこんなで、ポジティブ・ヘッドの先輩M氏とともに、
打合せはうまく盛り上がったというわけでした。

 

ひとまず、ポジティブ・ヘッドへの道のりはここまで。

その後、M氏のアドバイスに従ってスキンヘッドにしてしまうのですが、
また稿を改めて書いてみたいと思います。

ちゃんちゃん♪

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2012年8月16日 | コメント/トラックバック(0) |

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ポジティブ・ヘッドまでの長い道~7

ついに頭を丸めた夜

さっぱりと坊主にしようと、髪の毛のような薄い決意をしたものの、実行に移せず数か月。
ある日曜の晩、息子の散髪を家で行いました。
簡単なカットは、お父さんの役目だったのです。
家計節約のため、ですね。

上の息子は少年野球をやっていたので、ほぼ坊主刈りに近い長さでした。
電気バリカンに1cmくらいのアタッチメントを付けて、ざっと刈ればOK。
手慣れたもんです。

散髪がすんで片づけているとき、アタッチメントを外すとバリカンの刃が裸で現れました。
しばし見入る。
これで刈ると、1mm以下にはなるな……。

そのとき、ひと仕事終えた開放感からビールを飲んでいました。

アルコールは恐ろしい。

ほろ酔いにもなっていない状態でしたが、やおらその刃をもみあげに当て、
スイッチを入れてしまったわけです。

そのまま上へ。

鏡を見ると、右耳から頭頂部へかけて、
芝刈り機が進んでいったような刈り跡が映っていました。
もう、後戻りはできない。
手は、止まりませんでした。

子供の丸刈りで慣れてはいたものの、自分でやるのは勝手が違う。
刃を立てすぎて「イテッ」となったり、
鏡を見ながら右へ動かすつもりが左に行ったり、
虎刈りがいたるところに出現したり、
ひと頭を刈るのに20分くらいはかかったでしょうか。

それでも、五厘よりさらに短いたぶん1厘刈りの坊主頭ができあがりました。
30年ぶりの坊主。

決意していたはずなのに、鏡で見るとなぜか悲しい。
毛根のない部分、つまり禿げている部分は、頭頂部を越えて後頭部にまで。
こんな状態だったのか。
髪の毛でどこまでカバーできていたのか。
というか、全然カバーなんてできていなかった。
合わせ鏡を使うこともなくなっていたから、把握できていなかったのです。

しかし、この頭にしたからには、もう後戻りはできない。

そのまま風呂場へ行き、頭をガシガシ洗って髪の刈りくずを流し、
頭を拭こうとタオルを当てると、タオルは頭に掛かったまま動かない。
そう、短い髪がタオルの繊維にぴしっと刺さって動きを封じていたのです。

こんな感覚も久しぶりでした。

なんだか新しい自分になったような気がして、風呂場から出て妻に、
「そういうわけで、髪型を変えたから」
と告げました。
彼女は一瞥し、今度は何も言わずに溜息をつきました。
(つづく)

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2012年8月13日 | コメント/トラックバック(0) |

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ポジティブ・ヘッドまでの長い道~6

頭を丸めるまでのカウントダウン

妻に「志村けん」と言われた頭も、周囲が慣れるにつれ「ポニーテールの人」という認識が定着しました。

しかしながら、このスタイルは「髪に悪い」とされています。
後ろにギュッと引っぱるから、毛根が常にダメージを受けている状態。
引っぱられた毛根は、いずれギブアップしてしまうということです。
でも、僕の場合はそこまで気にしませんでした。

もうどうせ抜けていってしまうんだから。
これ以上気にしたって仕方ないじゃないか。

開き直り。
でも、これはポジティブな考え方への芽生えだったかもしれません。
抜け行くものにクヨクヨ悩むより、そのときそのときの髪を楽しもう。
だから、前述したようにバイカー風のファッションをしたり、
とんがったクリエイターを装ったり、
自分を少しずつ変えていくことができたんです。

だけど、もうそろそろいいかな。
そんな気持ちになり始めたのは、ロン毛にして1年ほど経った頃。

ちょっと面倒くさくなってきたのです。
シャンプーして、リンスして、ドライヤーで乾かして。
髪の長い女性なら当然毎日やっていることなんでしょうけれど。
リンスというかコンディショナーを髪にキシキシと付けている姿は、
何だかヘアケア製品のCMを思い浮かべてしまって、滑稽でした。
女の人みた〜い。

髭面のオヤジが。

そんなメンタルなことも含め、もういいかな、と。

さて、まずはさっぱりと髪を切ってもらおう。
いきなり家のバリカンで丸坊主にしてしまうのには、まだ踏ん切りが付かなかった。
だから、いつも頭を刈ってもらっていた銀座の床屋さんに行きました。

床屋さんで「助走」を

「どうも、お久しぶり」
「おお、前山さん。どうしてました。ずっと来なかったじゃないですか」
「いやあ、この通り髪を伸ばしてましてね」
「髪を、伸ばして……。ふーん、そうだったんですか」
ご主人は怪訝そうに、僕の長い髪を眺めました。
「今日はどうしますか」
「もうバッサリやっちゃってください」
という感じで、伸ばす前、このお店に通っていた頃の長さに切ってもらいました。
「前山さん、ポニーテールになさってたって話だけど、あれよくないんですよ」
「ええ、わかってます」
「ずいぶん広がっちゃったな……」
と、ご主人は呟きました。
僕は何も言えなかった。
薄くなってきた箇所をカバーするよう一生懸命カットしてくれて、
髪にいい食べ物や避けた方がいい生活習慣の話をしてくれて、
あるときフイッと来なくなる。
久しぶりに顔を出したと思ったら、すっかり抜け毛が進行していた。

ダメな客ですね。
ご主人だって溜息をつきたくなるでしょう。

「あの、ご主人……」
「なんでしょう」
「髪をね、もっと短くしてみたいんですよ。いや、今日じゃなく、そのうちね」
「スポーツ刈りとかに? でも前髪が……」
「前髪がもうないのはわかってます。全体的に坊主くらいにしようかなって」
「……諦めちゃうんですか」
「諦めるってより、現状をですね、受け入れて、あるがままにしようと」
「うーん、止めはしませんがねぇ……」
それきり会話は弾みませんでした。

1年以上ぶりに短い頭になった僕は、会社へ帰る道すがら、半分決意していました。
髪を落とそう。頭を丸めよう。

それは自分でやってみよう。
でも、いつ?
そのタイミングがいつになるかは、自分でも決められなかった。

月に1度、以前と同じようなペースで床屋さんに通いつつ、
徐々に長さを短くしてもらいながら、逡巡していたのです。
(つづく)

 

 

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2012年8月12日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:頭髪ヒストリー

ポジティブ・ヘッドまでの長い道~その5

最後の髪道楽

リアップやロゲインに頼り始めて1年過ぎました。
いつしか2000年代に突入。

合わせ鏡に映る僕の頭頂部には、変化がありませんでした。
効く人には効くはずです。
実際、「生えてきた」という声はよく耳にしましたから。
しかし、僕には効果がなかったように思えました。

うーんどうするか。
安くはないものを継続して使い続けていても、お金が消えていくだけ。
髪の毛も消えていくだけ。

このまま無くなっていくのなら、最後に一花咲かせようじゃないか。

自分がやりたかった髪型を楽しむことにしました。

リーゼント。
キャロルがデビューしたとき、音楽とともに衝撃を受けたポマードギタギタの髪型。
(あ、キャロルって、このブログを呼んでいただきたい年代の方ならご存じですよね)
しかし、クライアントの偉い人にも会うことのある会社員ですから、あまり不良っぽい髪型は……ということで諦め。

茶髪か金髪。
これもやりたかったんですが、やはり立場上まずいかなと。
コンサバなクライアントさんも多かったので。

長髪。
60~70年代、「長髪は不良だ」という図式がありました。
反体制の図式ってやつがまだ健在だった頃で、
全学連やグループサウンズやヒッピーやフーテンなどといったお兄さんたちが
長髪を振り乱して何か叫んでいたのを憶えています。
いっときは廃れたものの、90年代頃からまたオシャレの一環として復権してきていました。
僕の業種(広告制作業)にも長髪の人、ポニーテールの人がぼちぼち見られるように。
クリエイターは、長髪。
そんな空気を読みました。

よし、伸ばす。

オヤヂギョーカイ人いっちょあがり

そういえば、髪がたくさんあった若い頃は長髪にしようと思わなかったんです。
学生時代は運動部だったし、社会に出た80年代はプレッピーなんかが流行っていて、みんな短髪だった。
サーファーは長髪だったけれど、そこまで思い切れなかったし。

最後の髪道楽は、長髪にしよう。
妻にそう宣言すると、何も言わずに溜息をついた、ような気がします。

長髪って楽ですね、伸びるまでは。
ただ、中途半端な長さだと首筋がくすぐったかったり、目に髪先が入ったりします。
まあ、じっとガマン。
不潔にならぬよう、シャンプーはしっかりしていました。

リアップやロゲインは、いつしか使わなくなってしまいました。
延命治療より、ターミナル・ケア。
不謹慎だけれど、そんなことも思っていました。

髪が伸びてくるにつれ、以前の硬くて太かった髪ではなく、細くてシナシナとしたものになっていることがわかります。
これはいかん。
ここまで来ているのか。

そして、後ろで結わえるくらいまでの長さになり、妻からゴム紐を借りて留めてみました。

リトル・ポニーテール。
前髪はまだサイドに垂れるくらいの長さ。
今で言うと、チャン・グンソクくんみたいな感じ。
笑っちゃいますけどね。

そして時は来た。
ちゃんと前髪も後ろで束ねられるように伸び、「尻尾」も完成。

頭頂部から後頭部の薄くなっている部分は完全には覆い隠せませんが、
「頭は薄いけどポニーテールで決めているオヤヂギョーカイ人」となった僕は、
妻に「どうだ」とばかりに見せてみました。

彼女はつぶやきました。
「あ、志村けん」

(つづく)

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ポジティブ・ヘッドまでの長い道~その4

「アブラ断ち」は無理だった

床屋さんの思いやりから自分が知ることとなった、薄毛。
「ナポレオン型」の予言もあり、いつかは来るだろうと思っていましたが、まさか頭頂部がこんなに早く進行し始めるとは予想外でした。

どうしよう。
街中や電車の中で、つい同じ年代の男性の頭に目が行くようになりました。
薄くなってる人、かなり禿げてる人、結構います。
何かみんな、同志に見えてきました。

僕のように前から持ってきた髪でつむじあたりをカバーしている人。
横分けにした髪で隠している人(もうちょっと進行するとバーコード)。
そのままにして、薄い部分を露出させている人。

しかし、何とか食い止めなければ。

シャンプーを自然素材のものや髪にいいとされているものに換え、
いつも頭皮を清潔に保つようになりました。
花王から「サクセス」という男性スキンケアシリーズが登場。
その育毛トニックがジェットのように噴射するので気持ちよく、
愛用していました。

しかし、ストレスの原因となっていた多忙な仕事は変わりませんし、
頭皮マッサージがいいとわかっていても、つい面倒になってしまいます。

何より、極力摂らない方がいいと言われている油分は、しっかり毎日摂取していました。
なぜかというと、ラーメンの食べ歩きにはまっていたからです。
「ラーメンをやめるくらいなら、禿げた方がマシだ。いやマシマシだ」
周囲にこううそぶいていたのです。

きっと、もう周りの人たちも頭頂部のことは気付いていたのでしょうね。
うっすらと同情を浮かべた微笑しか返ってきませんでしたから。

「ミノキシジル」が頼りとなった

さて、そうこうするうちに40代となった世紀末、画期的な発毛剤が登場しました。
1999年、大正製薬から発売された「リアップ」です。
当初は血管拡張剤として開発された「ミノキシジル」を含み、発毛効果があるとされた最初の薬品です。
アメリカではこれを5%含んだ「ロゲイン」が先に発売されていましたが、
日本では1%までしか認可されなかったので、
「リアップ」はやや効果が薄いのかなとも思いました。

しかしこれが大ヒット!
いかに薄毛に悩んでいる男性が多かったか。
店頭では品薄状態が続き、「リアップ現象」などと呼ばれました。

僕もいろいろと手を尽くしましたが手に入らず。
ある時大井町でラーメンを食べた帰りに薬屋さんの店頭に「リアップ入荷」の貼り紙があるのを見て、速攻買いましたよ。

ラーメン食べた直後っていうのが何とも泥縄ですが。

薬効が証明されているのだから絶対効くはずだ。
そう信じて、毎日せっせと使いました。
「前頭部にはあまり効果がない」とも言われていましたが、
俺の問題は後頭部である、と一点集中的に付けていたのです。
二兎を追うハゲは一兎をも得ず。

アメリカへ出張に行った友人から本家5%の「ロゲイン」をお土産にもらい、
よし、これで5倍効くだろうと朝晩2回のお勤めは欠かしません。

すっかり得意になった合わせ鏡で、頭頂部から後頭部のチェックを怠らない毎日でした。

さて、果たして効果はあったでしょうか……と書いても、今の僕を見れば結果は明らかでしょうが。

(つづく)

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ポジティブ・ヘッドまでの長い道~その3

空き地が飛び地した

抜け毛、若ハゲの原因は、一般的にストレス・食生活・遺伝と言われています。
男性ホルモンが抜け毛に作用するなんてことも聞きました
DHT(ジヒドロテストステロン)という耳慣れない物質がその原因であると、AGAのサイトに出ていました。
そのへんについてはまた稿を改めて説明していきたいと思います。

さて、父親がヅラであることを知ってしまい、遠からず自分に訪れるであろうハゲの日々を憂鬱に思う時代が続きました。

歳は30代にさしかかった頃。
男にとってこの年代、会社ではそろそろ「中堅」と呼ばれ始めます。
ある程度のボリュームの案件を任されたり、後輩や部下ができて責任も増す頃。

僕は、部下はいなかったものの仕事量がドンと増えました。
バブルはもう弾けていたけれど、まだまだ世の中にゆとりがありました。
「これ頼むよ」「あさってまでね」なんて具合に、あれこれ頼まれ毎日遅くまで残業する毎日でした。

いくらお気楽な性格でも、仕事がうまく行かなかったり、トラブルが発生したりして、ストレスは当然のしかかってきます。

私生活でちょっと大変なこともあり、そんな積み重ねが髪によくなかったんでしょうね。
「空き地」ができたと前に書きましたが、その面積が30代半ばにさしかかると急速に増えていきました。

そして、ある日。
何げなく洗面所で「合わせ鏡」をして頭頂部を見たら……。

つむじの周囲に、地肌が見えていました。

何かの見間違いかも。光線の加減かも。
そう信じたくて、というか、もう一度確認するのが怖くて、
手鏡を伏せて会社に出かけたのです。

床屋さんの思いやり

30代の当時髪を切ってもらっていたのは勤務先に近い、銀座にある古い床屋さんでした。
大正生まれのご主人(もう今はやってないでしょう)から
昔の銀座や東京の話を聞くのがとても楽しみでした。

「合わせ鏡事件」があってから初めて髪を切りに行ったとき、思いきって訊いてみました。
「頭の上の方、薄くなってませんか」
ご主人はハサミをしばし止め、「いや、そうでもないですよ」と答えました。
あれ、やっぱり見間違いだったんだ。
「そうですか、ああよかった。ちょっとそんな気がしたんで」
しかし胸をなで下ろす僕にご主人は、
「前山さんの歳だったら、このくらいの人はたくさんいますから」
と気になることを言ったのです。

「このくらい」って?

ご主人は頭の上の方を指し、
「つむじの周りがね、年相応になってきたってことですよ」

愕然としました。

言葉を失っている僕にご主人は、
「前からね、ここをカバーするように切ってたんですよ。後ろに流せばまだまだわかんないから」
と、ここ最近の技術的な解説をしてくれました。

そんなことは、ちっとも知らなかった。

長くもなく短くもない長さで、センターから何となく分け、後ろに流すようにセットしてもらっていました。
髪はまだ太くて硬かったからムースなんかを付けて、ややしっかりと固める感じ。
僕が注文を付けたわけではなく、ご主人が「こうしましょう」と言ってやってもらっていたのでした。

「こうしましょう」には、「こうすれば薄毛が目立たない」という思いやりが含まれていたのですね。

後で振り返ればとてもありがたいことなのですが、ショックを受けていた僕は、
何を答えてどうやって帰社したのか、まったく憶えていません。

「とうとう来た」というそのことだけが、頭の中を駆け回っていました。
(つづく)

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ポジティブヘッドまでの長い道~その2

ある朝、目にしたロマンスグレー

うちの実家は、築数十年。戦後すぐに建てられた木造二階建てです。ゴチャゴチャしたものがあふれているわけですが、洗面所も例外ではありません。
僕が20代後半のある日、実家に帰って一泊した朝のこと。顔を洗ってタオルを探していると、グレーの物体が視界をよぎりました。

ん?

人形の頭のようなものがあり、その上に七三分けの「髪」が被せられていたのです。

こ、これは……。

そう、「カツラ」だったのです。ロマンスグレーの。
「おお、起きたか。おはよう」
と、父親が洗面所に来ました。
「これは何?」
「ああ、それは俺の髪だ」
久しぶりに会った昨日、「こんなに髪があったのか」と思いました。そして、どうも不自然な雰囲気がありました。
ロマンスグレーの七三分け?
確か、以前は「ナポレオン型」と言っていたとおり、M字に上がった頭をさらけ出したオールバックだったような記憶があります。
おかしい。
そして、食卓に漂う妙な緊張感……。

その理由は、この「カツラ」でした。
母親はさすがにわかっていたでしょう。父親がこうやって夜間のカツラ置き場を作っていたのですから。
息子は、父親がカツラということを気付くだろうか。
その心配が、昨夜の緊張感を生んでいたのでしょうか。

こうやって現物を堂々と見せているのだから、要らぬ緊張だったわけですが。

生涯現役でいるためなのか……

昭和一ケタ生まれにしては長身で、やせ形。顔立ちもまあまあ。
社交ダンスやボウリングなどを器用にこなすダンディな老人。
モテじじい。
彼のイメージを保つためには、カツラは不可欠でした。
ロマンスグレーの名の通り、老後をロマンチックに送るためのアイテムです。
母親の嘆きが聞こえるようでした。
「生涯現役」の必須アイテムなのか?
この不良じじい……。

僕は僕で、「ナポレオン型」じゃなかったのかよ、つるぴかになってんじゃんかよ、という事実にショックを受けていました。
いつか上からも来るに違いない。

その日は数年先のことでしたが、確実に僕に訪れたのです。

(つづく)

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ポジティブ・ヘッドまでの長い道~1

「ナポレオン型」の呪縛

子供の頃、僕は「床屋泣かせ」と言われていました。
なぜかって? 髪が太くて硬くてたくさんあったからです。
研いだばかりのハサミが、すぐ切れなくなってしまう。

坊ちゃん刈りの少年、おでこはわりと広め(秀でていた証拠?)でしたが、
当然のことながら禿げる予感など皆無でした。

ただ、一抹の不安は父親に「お前はナポレオン型になるな」と言われたことです。
ナポレオン型? 10歳の子供にはわかりません。
父は自分の頭部を指さし、「父さんみたいに、左右から上がってくることだ」と教えてくれました。
ふーん。
そのときは気にも留めませんでしたが、「ナポレオン型」という単語はその後記憶のどこかに沈殿し、大人になって再び浮上することとなったのです。

「若ハゲ」は、早ければ10代から始まるのだそうです。
20代から30代が「若年性脱毛症」。
40代から50代が「壮年性脱毛症」。
両者を総称して「男性型脱毛症」と呼びます。
通称「AGA」。この呼び方は聞いたことがあるのではないでしょうか。
TVでも治療薬のCMをやっていますしね。

空き地は、増殖する

私は30代後半から本格的に来ましたから、若年性の部類に入るんでしょう。
それに先立つ20代、ちょっと不安に思えることもありました。
両サイドが上がり始めたのです。
その頃の髪型はセンター分け。両サイドに流していたのですが、
そこに「空き地」ができるようになりました。
両側が上がってきたので、髪の間から地肌が見えちゃってるんですね。

あれれ、上がり始めた――それが28歳ぐらいのとき。
これが親父の言っていた「ナポレオン型」か。
「ハゲは遺伝する」というフレーズが、頭の中で何度も点滅しました。

それでも、ナポレオン型だから意外にかっこよくなるかもしれないな、
などと楽観的なことを思っていたのです。

しかしその気持ちは、あるとき大打撃を喰らいました。
久しぶりに実家に行って父親に会ったときでした。
(つづく)

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ポジティブに行こうじゃないか

こんにちは、前山と言います。

このブログは、「ポジティブ・ヘッドのススメ」というタイトルです。
いったいなんのこっちゃ?という方も多いでしょう。

ズバリ、ハゲの男性を応援するために作りました。

「ポジティブ」とは、肯定的。
つまり、「頭髪の悩みを捨てた、あるがままの頭」「前向きに捉えた人生」
なんてものを実現したいと、こう思ってるいわけです。

抜け始めたときのショック。
鏡を見るときの恐怖。
人前に出たくなくなるほどの不安感。
髪の多い人への嫉妬。
いろいろ試してみた育毛法・発毛法への焦燥感。
女性に対する喪失感。

そういったネガティブな感情に、もう飽き飽きしていませんか。
少なくとも僕は、飽き飽きしていました。

電車で座っているとき前の人の視線が気になったり、
後ろを歩いてくる人がどこを見てるんだろうと気にしたり、
会議の席で積極的に発言できなくなったり、
職場の若い女性と気さくに話している同僚を羨んだり、
部屋の中でも帽子を被ったままだったり……
そんな自分がほとほとイヤになっていたのです。

髪の毛の残量に打ちのめされているばかりではなく、
髪の毛を全部刈り取ってしまうことで、
髪の毛のない新しい自分を創り上げていくことはできないだろうか。

髪を落とす、という決断

僕自身、この頭にするときは大きな決断が必要でした。
まだ会社員だったので、同僚や上司の反応が怖かった。
近所の目も気になりました。
妻が悲鳴を上げるかもしれない、なんてことすら思いました。
よし、髪を落とそう。
坊主にしよう。
そう決めてから、それでも一週間は悩んだでしょうか。

逡巡しているとき、町を歩くとつい男性の頭に目が行くようになりました。
で、気付いたんです。

意外に、坊主やスキンヘッドって多いな、と。

気になっているから、よけい目に留まったんでしょう。
でも、そればかりではないだろう、と「良い方向」へ解釈したのです。
(もしかすると、髪の毛に対して『ポジティブ』に考えた最初の瞬間だったのかもしれません)

なんだ、みんなやってんじゃん。

人は、パイオニアを讃えこそすれ、自分がその立場になるのをためらうものです。
だから、前例・先例がほしい。
誰かがやっていれば、安心できる。

で、やりました。
髪を落としました。
自宅の風呂場で。
子供の散髪用に使っている電気バリカンで。
アタッチメントを外し、素のままの刃で、0.3mmくらいに。

そのへんの経緯や詳細は、またぼちぼちとこちらで綴ります。

新鮮な視界。新しいものが見えてきた

周囲の反応は予想通りでした。
むしろ、いつ坊主にするんだ、と思っていた節もあったようです。

妻には、「ご近所の人に、何事があったのかと思われるわよ」と言われました。
慣れない頭の人間が身近にいることに対し、強い違和感があったようです。

いや、でもさっぱりした。

初めての超短髪(いや、中学時代には坊主頭でしたが)。
だからまだ青々としていました。それがとても新鮮な気分になったことは確かです。

それからおよそ10年以上。
ハゲ、ツルピカ——呼べば呼べ。
僕はあるがままの頭で生きています。
会社を辞めて独立し、新しい知り合いもたくさん作りました。
女性とだって(たぶん)ちゃんとしゃべることができます。

薄毛・ハゲで悩んでいる同志たちよ、頭を丸め町へ出よう。
さっぱり・すっきりになった頭は、町の風を感じるセンサーかもしれない。
いろんな新しいビジョンが見えてくる。
アイデアが湧いてくる。
社会の先行きが見えづらかったら、せめて自分の視界を明るくしよう。

ポジティブ・ヘッドのススメ。
これは、単なるヘア・スタイルだけに留まらないのかもしれませんよ。

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2012年7月20日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:頭髪ヒストリー

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